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世界に一つだけの花なんてない

人と比較するのはよくない、人から言われて気になったのだが、比較って悪なんですかね?

例えば「あの人背が高いよね」と言うとき、標準的な身長と比較してる。
そこに悪意がある場合は少ないだろう。

「あの人、背低いよね」には悪意が含まれる場合も多い。
「あたし、背の低い男ってダメなんだ」と、自分の身長も顧みずに言っている女性がよくいるが、この発言は比較を悪意に評価していると言える。

「うちの子、背が低くて心配なのよね」という母親の気持ちは愛情だろう。

というわけで、比較自体には善悪なんてない。その比較をどう評価するのかが問題なんだ。

もっと言えば、人との比較なしには配慮とか思いやりも生まれない。
電車で年寄りに席を譲るのは、年齢とか体力を比較するからできるのだろう。自分のほうが若いから、自分のほうが体力があるから譲ってあげよう、という、比較による配慮だ。

よく電車の中でおばさんグループが、
「あたしのほうが若いんだから村上さん座ってよ!」
とかやってる。
この場合、村上さんに対する配慮がある一方で、あたしのほうが若い、というアピールも含まれる。
比較を材料にして、善意にも悪意にも評価している例として興味深い。

つまりは、比較をどう用いるのか?を人間性というんじゃないだろうか。

「比較なんてしてないでオンリーワンを目指せ」
これもよく聞くフレーズだが、これって何だ?

例えば成績のよくない小学生に「でもお前はサッカー上手いんだからそっちでがんばったらいいよ」とか言うときに使うのか。

でも、勉強を捨ててオンリーワンのサッカーを目指せ、はあり得ない。
サッカーには勉強よりずっと厳しい比較の序列がある。

プロになれるトップレベルのサッカー選手って日本で1学年に何人いるのだろう? 数十人か?
でもトップレベルの大学には1学年で1万人以上入れる。
だったら勉強しちゃった方が手っ取り早い、ともいえる。

えーと、話がそれたが、オンリーワンなんてモノはこの世にないのである。
あらゆるカテゴリーで人は比較されて生きていく。それが社会だ。

ひとつの比較から逃げても、別の比較にすぐ捕まえられてしまう。

世界にひとつだけの花なんてない。
あったら持ってきて目の前に示してほしい。

もしドヤ顔で「これです」と持ってくる人がいたら、全力の悪意をもって比較してやる!



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